息子のことがあってから、全然本を読まなかったわけではないけれど、とにかく頭に入らない。読みやすいはずの佐伯泰英さんの本も全然頭に入ってなくて、磐音シリーズの「秋思ノ人」も2冊も買ってしまったような次第です。
本屋大賞というのにも全然興味がなくて、出光佐三さんがモデルでなかったら、きっと買わなかったと思います。
私の父は、戦争に行っていた数年間を除いて、出光に50年以上勤務していました。退職して数年で他界してしまったので、父の人生そのものが出光だったともいえます。父には出光佐三さん(店主)がもっとも尊敬していた人でした。実家には店主の著書が何冊もありましたが、私は読んだことがありません。でも、折につけ、店主のことはよく話していましたので、この本には、断片的には記憶のある話がいくつもありました。
社員とその家族向けに作られた映画があって、私も仕方なく見に行ったことがあります。題名も忘れたし、映画の内容もほとんど忘れたのですが、佐三さん役が(記憶違いでなければ)木村功さん、その木村功さんが油のビンを持って売り歩くシーンだけは覚えています。この本を読んで、満鉄に油を売りに行った時のことだと初めて知りました。
上巻の初めにタンクの底を浚う作業が出てきますが、父も実際にその作業をしていたそうです。油泥棒に間違われて警察の留置場で一晩過ごしたこともあったとか。「あの仕事はきつかった」と笑いながら何度も話していました。父は戦争中のことは、ほとんど語らず他界してしまったので、それに比べれば笑えるほどのことだったのでしょう。
それにしても、後に社長なる東雲さん(もちろん本名も存じておりますが、あえて本の通りに東雲さんで通します)までその作業をされていたとは知りませんでした。詳しい経歴はこの本を読んで知りましたが、エリートだということは知っていましたので。タンク底の作業は、父のような若造の仕事だと思っていました。
もう40年以上も前のことだから書いてもいいかな。その東雲さんからお電話があり、たまたま私が電話をとり「東雲ですが」と言われ、あわてて母に変わりました。「何事?」と聞くと「奥さんが外出中に灯油が切れちゃって、寒くてたまらん。どこに電話したらいいのか、と聞かれた」とのこと。石油会社のお偉いさんが灯油で困るなんてね、うちに電話する前にどこか販売店に電話したら、すぐにでも飛んでくるのにね、と思わず笑ってしまいました。会社では切れ者の方も、家庭内のことは皆無だったようです。
一度だけ、私も店主にお会いしたことがあります。本にも出てくる桑原先生のところです。そのころ父は知多の製油所を作る仕事をしていましたが、店主の紹介で桑原先生のところで白内障の手術することになり、しばらく赤坂にあった寮に滞在していました。その付き添いで桑原先生のところに行ったとき「店主だ」と父が緊張するので、娘の私は緊張しまくり「父がお世話になっております」というのが精一杯でした。そのとき「こいつは(父)やんちゃで、おれの言うことを素直に聞かないんだよ」とニコニコしていらっしゃいました。
もう40年くらい前のことで、一瞬の出来事でしたが、人物の大きさは十分すぎるほどわかる方でした。
我が家にはずっと仙厓さんの絵が描かれた出光のカレンダーがかけてあって「これ、一年に12枚でしょう、仙厓さんの絵がなくなったら、最初にもどるの?」と父に聞いたら「いや100年分くらいは店主が持ってるらしいよ。少なくともおれが生きてる間は大丈夫」と笑っていたことや、あれこれ思い出してしまいました。
このタイミングでこの本に出会えたことは、息子のことでふさぎがちな私に、父が「負けるな」と応援してくれているような気がします。読了後、声を出して泣きました。あちらの世界で息子は父から「こんなに早くこちらに来て、ばかもんが!」(よく部下を電話でそう叱っていました)と叱られているかな、それともひ孫の成長をそっと守ってくれてるかな。
百田先生には、感謝です。