2013年11月20日 (水)

クレーム

パソコンの修理が終わりました。(2週間ほど前のことですが)
その修理伝票?みたいなものに、私がお店で言ったとおりのことが書いてある。
「一か月で二度の故障です。ちゃんと直してください。」ご丁寧にも(クレーム)と括弧つきで。

これってクレームになるんでしょうかね。パソコンで「ハード取り替え」になると、もとに戻すのって結構大変ですよね。ようやく見慣れた画面になって使い出して、また故障になったら、店頭でそれくらいのことは誰でも言うような気がするんですが。

せめて、お客さまに渡す伝票には、私が言った言葉はマジックで消すなどの気遣いなかったのかしらね。と、今度はお店にクレーム言いたくなりました。少なくともあのお店で買う気がなくなりました。

今、我が家には使えるノートパソコン3台あります。Vistaを7にグレードアップしたもの、7、8と。8はパソコンとして使うには快適なんです。メモリー増設したこともあるけれど、立ち上がりがとても速い。ただ、Flash Playerとの相性悪いのかしら。ピグのゲーム(いまだにやっています)が遅い気がするのです。気のせいかと思ったけれど、修理終わった7でやると、明らかに速さが違う。

というわけで、一番古いのはデータ保存用、7はゲーム用、8は普通にパソコンとして使っています。で、結局一番使っているのが、修理終わった7で、使いすぎで、また故障したりして。

2013年10月29日 (火)

また衝動買い

今度はちょっと高い買い物です。パソコン買っちゃった。
前のも一年ほどの前ので、そんなに古くはないんです。8が出たばかりで7が安くなっていたので、買ったものです。ところが、よく故障する。保証期間中に2度も故障ってあり?もちろん普通に使ってますよ。コーヒー飲みながら使ってはいるけれど、こぼさないように細心の注意はしてるし。

さすがに今度はちょっと切れました。「あなたに文句言っても仕方ないと思うけれど、メーカーさんにくれぐれも言っておいてよ。不良品売ってると思っちゃうからね」

というわけで、今修理中。修理中にパソコンないわけじゃないんです。遅いのを我慢すれば、使えるのはあるんです。前に修理した時はそれを2週間使っていたんですが、「ちょっとパソコンショップ寄ってみよう」

もう、そうなると帰りには大きな荷物を持って帰る私です。8のスタート画面って全然違うのね。「使いにくそう」というと「こちらで、すぐ慣れたスタート画面にできますよ」と、8のスタート画面は、店頭で一瞬見ただけですので、8の便利さ全然わかっていません。でも、今データが全然入っていないこともあるけれど、すごく快適です。

で、ネットに繋ぎ、ウィルスバスター入れて、メールソフト入れてと最低限のことのしてから、まずしたことは、AKB48の歌をダウンロードしたことです。(笑)

Pa290025


きっかけは「恋するフォーチュンクッキー」の神奈川県ヴァージョンが評判になってることでした。その動画見ながら、泣く人もそういないと思うけれど、「未来はそんな悪くないよ」とか「人生、今日よりよくしよう」とか聴いていたら、涙があふれてきて、はまってしまって。他に知ってる曲を何曲か購入して、AKB48のCD作ってしまいました。

フォーチュンクッキーもいろんなヴァージョンあるけれど、皆が笑顔なところがいいですね。だんなは「AKB?」というけれど、私は確実に元気もらっているんだから、「ほっといて!」です。

2013年4月15日 (月)

海賊とよばれた男

P4150026


息子のことがあってから、全然本を読まなかったわけではないけれど、とにかく頭に入らない。読みやすいはずの佐伯泰英さんの本も全然頭に入ってなくて、磐音シリーズの「秋思ノ人」も2冊も買ってしまったような次第です。

本屋大賞というのにも全然興味がなくて、出光佐三さんがモデルでなかったら、きっと買わなかったと思います。

私の父は、戦争に行っていた数年間を除いて、出光に50年以上勤務していました。退職して数年で他界してしまったので、父の人生そのものが出光だったともいえます。父には出光佐三さん(店主)がもっとも尊敬していた人でした。実家には店主の著書が何冊もありましたが、私は読んだことがありません。でも、折につけ、店主のことはよく話していましたので、この本には、断片的には記憶のある話がいくつもありました。

社員とその家族向けに作られた映画があって、私も仕方なく見に行ったことがあります。題名も忘れたし、映画の内容もほとんど忘れたのですが、佐三さん役が(記憶違いでなければ)木村功さん、その木村功さんが油のビンを持って売り歩くシーンだけは覚えています。この本を読んで、満鉄に油を売りに行った時のことだと初めて知りました。

上巻の初めにタンクの底を浚う作業が出てきますが、父も実際にその作業をしていたそうです。油泥棒に間違われて警察の留置場で一晩過ごしたこともあったとか。「あの仕事はきつかった」と笑いながら何度も話していました。父は戦争中のことは、ほとんど語らず他界してしまったので、それに比べれば笑えるほどのことだったのでしょう。

それにしても、後に社長なる東雲さん(もちろん本名も存じておりますが、あえて本の通りに東雲さんで通します)までその作業をされていたとは知りませんでした。詳しい経歴はこの本を読んで知りましたが、エリートだということは知っていましたので。タンク底の作業は、父のような若造の仕事だと思っていました。

もう40年以上も前のことだから書いてもいいかな。その東雲さんからお電話があり、たまたま私が電話をとり「東雲ですが」と言われ、あわてて母に変わりました。「何事?」と聞くと「奥さんが外出中に灯油が切れちゃって、寒くてたまらん。どこに電話したらいいのか、と聞かれた」とのこと。石油会社のお偉いさんが灯油で困るなんてね、うちに電話する前にどこか販売店に電話したら、すぐにでも飛んでくるのにね、と思わず笑ってしまいました。会社では切れ者の方も、家庭内のことは皆無だったようです。

一度だけ、私も店主にお会いしたことがあります。本にも出てくる桑原先生のところです。そのころ父は知多の製油所を作る仕事をしていましたが、店主の紹介で桑原先生のところで白内障の手術することになり、しばらく赤坂にあった寮に滞在していました。その付き添いで桑原先生のところに行ったとき「店主だ」と父が緊張するので、娘の私は緊張しまくり「父がお世話になっております」というのが精一杯でした。そのとき「こいつは(父)やんちゃで、おれの言うことを素直に聞かないんだよ」とニコニコしていらっしゃいました。
もう40年くらい前のことで、一瞬の出来事でしたが、人物の大きさは十分すぎるほどわかる方でした。

我が家にはずっと仙厓さんの絵が描かれた出光のカレンダーがかけてあって「これ、一年に12枚でしょう、仙厓さんの絵がなくなったら、最初にもどるの?」と父に聞いたら「いや100年分くらいは店主が持ってるらしいよ。少なくともおれが生きてる間は大丈夫」と笑っていたことや、あれこれ思い出してしまいました。

このタイミングでこの本に出会えたことは、息子のことでふさぎがちな私に、父が「負けるな」と応援してくれているような気がします。読了後、声を出して泣きました。あちらの世界で息子は父から「こんなに早くこちらに来て、ばかもんが!」(よく部下を電話でそう叱っていました)と叱られているかな、それともひ孫の成長をそっと守ってくれてるかな。
百田先生には、感謝です。

2013年4月14日 (日)

一年たって

息子の一周忌を終えたところです。息子の病気の重さに気がつかない自分の愚かさを責めた一年でした。この思いはずっと今後も続くと思いますし、この一年で辛さが減ったかと言われれば、いいえとしか言えません。

心が鉛になってしまったような気分は一生付き合わなければいけないものだと覚悟しています。一年間、最小限の家事をし、お墓参りをする他は何をする気力もわきませんでした。今でもほとんど引きこもり状態ですが、幼い孫の将来を見守るために、一日でも長生きしようという気持ちにはなってきました。

いろいろご心配くださって、メールをくださったり、お手紙をくださった皆様ほんとうにありがとうございました。夜は睡眠薬なしでは眠れませんが、昼間はほぼ正常生活を送っております。たまにはお友達とランチをしたり、おしゃべりをしたり、笑って話せるようにはなりました。


P4140025

久しぶりに石けんを作ってみました。石けんのストックがなくなってしまって、だんなには市販の石けんでごまかし、私も体はボディシャンプー、洗顔だけは自分の石けんという生活をしていましたが、娘に(元気づけるつもりかもしれないけれど)「お母さんの石けんじゃないと肌が荒れる、また作って」と言われ、「缶が錆びちゃってる。これ、いつのオイルだ、まぁ食べるわけじゃなし、大丈夫だろう」と作ったアボガドオイルのマルセイユ石けんです。
基本的には四角い石けんが一番使いやすいと思っていますが、残ったアボガドオイルを全部使ったのでアクリルモードに入りきらずに、ご覧のような天使模様になりました。

香りはベルガモットのみ。すぐに香りがなくなるような気もしますが、エッセンシャルオイルの香りは結構癒されるものだということがわかりました。

また、マイペースでぼちぼちとブログも更新したいと思っています。またよろしくお願いします。

2011年10月13日 (木)

初めての運動会

Pa090010_1

幼稚園へ行き始めた孫の運動会が9日にありました。わざわざ行って雨降ったら笑っちゃうよねと言いながらでしたが、当日はお天気に恵まれ、運動会日和。

孫が通っている幼稚園は、山全部敷地と言えるほどの自然に恵まれたところで、幼稚園生活を楽しんでいる様子がよくわかりました。孫はかけっこ、お遊戯、親子競技など、張り切って参加していました。

わずか1泊の短い滞在でしたが、とても楽しい旅行でした。

2011年9月 6日 (火)

怠惰な毎日

息子一家が帰って一か月ですが、その間にしたことと言えば、お嫁ちゃんのブラウスを1枚縫っただけ。毎日、グタグタした日を送っていました。野田内閣が発足したり(応援しています)西口が6年ぶりに完封勝利をあげたり、頑張ってる人々を見るとこれじゃいけないと反省はするのですが、お友達から電話かかって「何してる?」と聞かれても「暑いから、家に引きこもりしてる」と返事する有様で。

 

去年はそれでも読書していたのですが、今年はゲーム。3DSが安くなったので、「ゼルダの冒険」を買ってやっていたのですが、これもちょっと今詰まり気味。3Dは思うようにキャラが動かず、苦手です。

 

201108261518000_2 6月に箱根へ行った 時に体験した陶芸が届きました。お湯呑二つと一輪ざし。といっても、形つくりもずいぶん手伝ってもらったし、釉薬もあちらでかけてもらったので、手造りというにはおこがましいですが、とても素敵です。

 

少し涼しくなってきたので、洋服作りや石けん作りも再開しなければとは、思っています。

2011年6月18日 (土)

箱根

娘と箱根に行ってきました。行きは新宿から高速バスに乗り、箱根ガラスの森美術館に。全然歩かなくていいので、とても便利です。後ろに座った女性グループがずっとしゃべりっぱなし。会社のことから、仲間のことまで、全部聞こえちゃって、私もお友達と旅行する時は、あんな風なのかとちょっと反省。

 

P6150001

 

ガラスの森美術館、とても素敵でした。イタリア風でお昼を食べたレストランでは、カンツォーネの生演奏があり、もう満腹。また古いヴェネチアンガラスの展示にはため息でした。

 

夜は早雲山前の早雲閣へ。高山にある花扇の姉妹館だそうで、夕食の飛騨牛や朝食の朴葉味噌などとてもおいしかったです。

 

P6160010

 

スタッフブログにもたびたび登場する猫のミーちゃん。人懐こくて接客に一役かってる?

 

P6160019

 

二日目は強羅公園に。あじさいの寄せ植えが素敵でした。クラフトハウスで、陶芸とサンドブラストの体験を。陶芸はさわってみた程度。ほとんど、スタッフに形づくってもらった感じですが、送られてくるの楽しみ。

 

サンドブラスト、父の日が近いのでだんなのおみやげにしたのですが、「ホテルのコップ、もらってきたの?」の一言でキレまくり、「絶対使わせない!」と食器棚の奥にしまいこみました。先週も母の三回忌で家を空けたので、だんなの機嫌、あまりよろしくないのはわかっていましたが、あの一言は許せない。

 

なにはともあれ、久し振りの箱根、大満足でした。

 

 

2011年5月 4日 (水)

冷蔵庫

一体ライオンズどうしちゃんでしょうね。野球は勝ったり負けたりするのを楽しむ(勝ったり勝ったりでも全然OKなんだけれど)スポーツなのに負けたり負けたりじゃ、全然楽しくないよ。この頃はリードしていても負ける気がするし、先制されるとよけに負けそう。で、実際に負けちゃう。

 

4勝しかしていないのは知ってるけれど、どれだけ負けているのかは新聞も見てないし、知らない。昨日も今日も西武ドーム、満員なのに、そろそろライオンズファンを喜ばせてくださいな。

 

ミシンが壊れたと思ったら、今度は冷蔵庫。一番弱にしても、冷蔵庫の中の物が凍っちゃう事態に。うちで一番長く使っていた家電が冷蔵庫。電気代もこの冷蔵庫のおかげでアップしてると思う。エコポイント付きの時も考えないではなかったのだけれど、冷蔵庫の入れ替えってめんどうそう、と思っただけでおっくうに。

 

壊れちゃったら仕方ないとネットでいろいろ見てみたけれど、ここで問題発生。うち、冷蔵庫いれる場所狭くって、今どきの冷蔵庫は入らない。

 

P5040001

 

やっと、横55センチというサイズを三菱電機のHPで見つけて電気屋さんへ。同じものがあったので、即購入。せっかく新しくするのだから、いろんな機能がついているの、ほんとは欲しかったんだけれどな。今夫婦二人だから、まっいいか。

 

冷凍庫が広くなって、ガラガラ。その分野菜室が狭くなって、それがちょっと不満だけれど、野菜はなるべく新鮮なうちにってことかしら。うちのキッチン、今は冷蔵庫だけが、やけに目立っております。

 

 

 

 

2011年4月14日 (木)

菅おろし

民間の復興の力ってすごいですね。地震直後の仙台空港の惨状を見た時に、仮とはいえど、一か月で飛行機が飛ぶとは思いませんでした。

 

それに比べて、政局は相も変わらず。地方選挙の後、菅退陣の声が野党だけでなく、民主党の中からも出ています。非常に腹立たしいというか情けないというか。私、決して菅さんのファンではないんですよ。でも、小池百合子さんの「とっとといなくなってほしい」発言には言葉の下品さに加えて、傲慢さに絶句しました。

 

今、菅おろしを声高に叫んでいる人たち、首相交代してどうしたいんでしょうか。谷垣さんが首相になったら、原発問題すぐに解決するんでしょうか。小沢さんが首相になったら、仮設住宅明日にでも建つんでしょうか。

 

大体、何百人もいる国会議員、何をしてるんでしょうか。ある議員のように「アロマの香りの中で、英語のお勉強」でもしているんでしょうか。

 

リーダーが頼りないと思ったら、足を引っ張るのではなく、サポートするのがほんとだと思うのですが。「絆」とか「We are one]という言葉は政局の中では通用しないらしい。この惨状の中で「首相交代」なんて国際社会からもあきられるんじゃないでしょうか。

 

避難所から被災者が一人もいなくなり、原発もなんとかなりそうだという時期まで「首相交代」なんて言ってほしくないと私は思います。

2011年3月20日 (日)

10日目

どんな言葉も出てきません。ただ祈るだけ。あまりの悲惨さに目をそむけたくなる気持とそれでもずっとテレビから目を離せない毎日です。

 

孫を探していた夫婦は会えたのだろうか、小さい赤ちゃんをだっこしていたお母さんはどうしているかしら、と思っただけで心乱れます。

 

「マイクロシーベルト」だの「使用済み核燃料」だの日常会話に出てくることがあるなんて思いもしなかった。そんな中、頼もしく思ったのは消防庁の方々の会見でした。どれほど困難で危険な仕事だったか、こういう方々に守られてる日本はきっと大丈夫、再び立ち上がれると思いました。

 

私にできることは、節電に協力する、買いだめはしない、ガソリン節約のため不要な外出はさける、こんな小さなことしかできませんが、今日より明日がよくなることを信じて。

より以前の記事一覧